こんな焼酎が欲しかった!完熟堆肥栽培25年。野菜畑で育った芋から生まれた芋焼酎たちです

或る焼酎誕生物語

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ほんもの屋開業から丸7年。このウェブサイトを立ち上げてから3年が経過しました。この間、いろいろな状況が変化しました。
1本の焼酎が誕生した平成17年当時から平成25年9月の今日までのことをごく簡単にご紹介しておきましょう。

或る焼酎誕生物語 PartⅠ玉露甕仙人ブルーボトル編

信念の野菜・・・「食は命

  • レクイエム的前書き
    この物語は、有限会社馬場農場の社長だった馬場敏郎氏を抜きには語れません。

わたしが馬場敏郎氏に初めて会ったのは平成17年4月。
彼が癌のために47歳で急逝したのは平成18年4月。
 
わたしは、彼の「人生最後の1年」という時間を、誰よりも多く共有しました。

 が、この密度の濃い時間の中で彼が語った「命と農業」のハナシを始めると語り尽くせないので、次のことだけ記しておこうと思います。

1.「食は命」。
これは馬場敏郎氏の野菜づくり、堆肥づくり、あるいは人生の信念でした。

2.農薬や化学肥料を使う現代農業を「自然に逆らう欲得農業だ」といい、「ほんもの」とは、ウソやゴマカシのないことだと定義づけていました。

この畑の芋で焼酎を

  • ふと抱いた飲兵衛の夢
    20代のころは焼酎を1升飲んでも二日酔いなどしなかったと豪語するほど飲兵衛だった馬場氏も出会った当時は「禁酒」を奥様に誓っていました。くわしい理由はしりません。

ただ、完熟堆肥栽培野菜のすばらしさに誇りをもっていた彼の思いは、「焼酎だって、この畑の芋でつくれば絶対いいものができるはずだ。そんな焼酎を飲んでみたい」ということでした。

平成17年夏の夕暮れ、生産者のみなさんを集めた馬場農場の懇親会で彼は一本の焼酎を自慢げに披露したのです。
「去年某蔵元で試験的に仕込んだウチの芋だけの焼酎だよ」

非常識な売り込み

  • 知らないということの怖さ
    その蔵元から、今年は本格的に仕込むので栽培をふやしてくれ、と頼まれていた馬場氏。
    10月の芋ほり当日に「納期を12月に延期してほしい」と言われたときはさすがにショックを受けたようです。

どこか別の焼酎メーカーに投げ売りするという馬場氏を説得して2週間の余裕をもらったわたしが人脈のすべてを動員して有限会社中村酒造場を紹介してもらったのは10月下旬だったと思います。

業界の事情にくわしい人なら、というより焼酎づくりにくわしいひとなら、その時期に芋の取引相談をするなんて「非常識」。
いま思えば「知らないことは怖い」の典型でした。

何かのご縁でしょう

  • ミラクルな・・・
    私は地図を見ながら中村酒造場にたどり着き、初対面の中村社長にこれまでのいきさつをお話しました。
    これも何かのご縁でしょう
    「お話はわかりました。つくりましょう」
    中村社長のことばは、今でもはっきりと耳に残っています。が、信じがたいことが起きたんだという認識は、当時の私にはわからなかったのです。
    ミラクルなできごとが始まった瞬間でした。

驚きの原酒

  • 後に判明βフェネチルアルコール分

ヘンなショツ屋誕生

  • 銘柄はひとつ

鳴かずかず飛ばず

  • HPはつくったけれど・・・

突然の「ご注文メール」

  • しらないところで何が?

たった2年で生産中止!?

  • 薩摩焼酎宣言

全国からのメッセージ

  • 中村社長2度目の決断

復活、ブルーボトル

  • かごしま屋さん

ブルーボトルクラブ誕生

  • 五つの「ありがとう」

次の蔵元さがし

  • リスキーな挑戦

(有)馬場農場が廃業

  • 生産者たちの決断

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